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#11 My Tiny Small World

2022.03.19

知らない街で知らない人が
知らない声で泣いてる
胸が痛くてやりきれない
でも助けには行かない

でももしそれが僕の家族や
友達や恋人なら
迷わず今ここを飛び出して
助けにいくのだろう

狭くて小さな僕のこの世界を
傷つける全てのものから守りたい
ずるくて正しい曖昧な世界で
僕はそばにいるあなたを守りたい

狭くて小さなそれぞれの世界が
埋め尽くしている大きく見えるだけの世界
汚れてやさしい混ぜこぜの世界で
僕はまだ知らないあなたに出会いたい

数日前に作った曲で、勢いでデモを作った。

「王様のミサイル」や「時計台の上で僕はうとうと」からずっと自分の中でもやもやしているテーマで、改めて今世界で起こっている出来事や、災害が起こったり、悲しいニュースを知る度に自分の中にある葛藤。

もちろんほぼ全ての出来事に対して、悲しみや憤りややるせなさを感じる一方で、自分の目の前の生活を差し置いて、具体的に行動は起こせないことがほとんどで。

街角での寄付や知らないだけで悲しいことや理不尽な出来事は日本中、世界中にあふれていてその全てを知って、胸を痛めたり、寄付をしたり、行動を起こしていたらキリがないというのはあるのだけど、本来一つやるとしたら全て同じなはずだし、その中で自分にできることは何なんだろう、といつも自問自答してしまう。

もちろん自分に影響力があれば、またできることは変わってくるとは思うのだけど、結局はイマジネーションがどれだけ沸くかどうか、ということに尽きる。

イマジネーションが沸いて、心が動いてそれが行動に変わる。そのためには知っているとか、行ったことがある、お世話になった人がいる、友達のこと、家族のこと、恋人のことになると、できることは全然違ってくるだろう。

例えば動物を飼っている人だったり、自分の興味のある分野で助けを求められたなら、遠い国の会ったことのない人の命よりも身近に感じて行動に移すかもしれないし、そこに自分はずっと心苦しさを感じながらも、結局はイマジネーションに、心に従うことにしている。

そういうことを考える度、自分の想像力の及ぶ、力の及ぶ、近くの人や知っている人から大切にしようという思いに帰結する。これから出会っていく人にもそういうことなのだと思う。

色んなところに行って色んな人に出会う、それだけで世界は少し良くなるんじゃないか、友達はもちろん、知っている人がいる街にミサイルは落とせないでしょう。

冷たく聞こえるかもしれないし、共感してもらえないかもしれないけど、自分の葛藤と今感じていることの話。

(Gt.Vo.上野啓示)